2017年12月4日
所沢シティマラソンに参加してきました。今年も5km、

所沢シティマラソンに参加してきました。今年も5km、昨年も5km、その前年も5km。主役は僕ではなく、僕が伴走する男の子です。
彼は自閉症で、言葉でコミュニケーションを取ることはできません。そんな彼との付き合いが、このマラソンのおかげで、年一回、細く長く続いています。出会った時の彼は中学生、僕は大学院生でした。それが今では二人とも社会人です。
 
とても印象的だったことは、彼の表情が始終すこぶる明るかったことです。「どうしてそんなに笑顔なの?」と尋ねてみることはできません。尋ねることはできても、その答えを彼から受け取ることはできません。できないから、ただ、笑顔の彼といるのです。笑顔の理由は分からないけれど、彼が笑っているという事実と一緒にいるのでした。
 
今となって振り返ってみると、そういう「あり方」が、昔は不安でした。僕の中に相手の真意を「分かりたい」という欲求があって、それが不安の原因でした。
でも、この日は少しも不安がありませんでした。彼が笑顔でいるという事実、それだけでいいやと。
 
僕は、彼にとっての支援者でした。彼を支えることが僕の務めでした。
でも、その前に、彼は彼でした。彼は彼らしくある、彼でした。
僕の立場がどうあろうが、彼は生きている。生きている彼のすぐそばに、同じく生きている僕がいる。
 
生きているものは、みな、よく分からない。何を考えているのか、どうしてそう考えるのか、そこからどうやって行動するのか。
少なくとも僕と同じように考えて、同じように行動する人はほとんどいない。僕の見ている限り、○○さんと〇〇さんも全然違っている。
違ってばかりの僕たちが、「分かる」ことができることは、実はとっても少ない。「何でだよ」「どうしてさ」の連続です。
「分からないもの」を「分かろう」とする努力を諦める必要はないけれど、「分からないまま」でもやっていかれる「よい塩梅」が必ず見つけ出せると思う。
 
僕は半日、彼と過ごした後、そんなことを考えています。きみの笑顔の分からなさは、僕にとってものすごい宝物だなと思います。
どうかいつまでも僕の分からない君でいてください。また来年、きみと一緒に走れることを楽しみにしています。
 
明日もよい一日となりますように。