2017年10月3日
「誰かが、」「通過させたかった」ものを継ぐ

座・高円寺の「あしたの劇場」へ行くことが、毎夏の大きな楽しみの一つになっている。
今夏は「フランドン農学校の豚」と「ピノッキオ」、どちらの作品も観ることができ、とても満足している。
満足というのは気持ちのありようで、心全体のありようで言うならば、とても充実している。
 
特に「ピノッキオ」で脚本・演出を担当するテレーサ・ルドヴィコ氏。僕はすっかり彼女の作品世界に夢中になっている。
昨夏の、と書こうとして驚いた。「旅とあいつとお姫さま」は一昨年の上演だ。あの作品のことは、今でもついこの間のように思い出すことができる。
そういう作品と出会えたことが、本当に幸せだ。
 
佐藤雅彦氏が編者を務めた『教科書に載った小説』のあとがきの言葉が好きだ。
「誰かが、人が育つ過程に於いて通過させたかった小説」
佐藤氏は自身の撰んだ12編の小説をこのように形容した。

「誰かが、」「通過させたかった」というところが、とてもいい。
作品を通じて、時代や世代を越えてやってくる人の願いや想い。
顔も知らない「誰かが」、未来へ向かわせたもの。
その想いの先に、今の僕たちがいて、これからの〈誰か〉がいる。

この言葉に出会って以来、例えば日々の授業で扱う物語や説明文の読み方が変わった。
一見するとピンと来ない作品であっても、「きっと『誰かが通過させたかった作品』であるに違いないから、それがなんとなくでも感じられるまでは読み込もう」と思うようになった。
提供する側の人間がその作品を「取るに足りないもの」と思っていては、どうして子どもたちが学ぼうと思うだろうか。
 
そしてそれは自分の携わる舞台についても同じことを考えるようになった。
「僕たちの舞台に『通過させたかった』と思えるようなものはあるのかな」
 
今日はここまで。また明日にしましょう。
 
【お知らせ】
先生と本屋 VOL.09 きのこ公演
次回の舞台公演は10月15日(日)19:00〜20:30(東中野バニラスタジオ)です。
古典落語の名作「死神」を扱います。ご予約受付中です。
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【紹介した本】
佐藤雅彦(編)『教科書に載った小説』(ポプラ文庫、2012年)