2018年6月18日
のぞみ

故・梅田耕太郎さんの無念に心から痛み入る日々が続く。「悲しい出来事が二度と起こらないように」――こういった事件の度に繰り返されるこの言葉を、単なるクリシェとするのではなく、自分事として真剣に考えたい。
容疑者の供述の言葉が思い出される。彼の孤独と絶望は一体どこからやってきたのか。どこからでもいい。そういう思いを抱えずに生きられるようであってほしい。そのためにできることを、する。

2018年4月2日
Week1

新年度になりました。進級・進学・就職おめでとうございます。
 
四月一日を起点として、三月三十一日までの期間を一年とする「年度」という考え方が、子どもの頃はどうしても理解できませんでした。だから「明日から○年生になるんだよ」という言葉は、少しもピンと来たことがありません。その僕が、つい先日まで「あともう少しで三年生になるんだよ」と、担任する二年生の子どもたちにに言っているのですから、おかしいですね。
 
「年度」というものをはっきりと意識するようになったのは、実は働き始めてからのように思います。そして今はそれを上手く扱えるようになろうとしている真っ最中であると感じています。

「年度」という言葉のすぐ近くに、「計画」とか「見通し」という言葉が想起されます。つまり、「年度」というものを意識するようになったのは、その期間で「何をしようか」ということを考える側に立ってからだと言えます。
 
これまでの三年間は、「計画」や「見通し」の甘さを痛感し、猛省する日々でした。「甘さ」というよりも、それらの持ち方について少しも分かっていなかったというほうが適当かも知れません。目の前のことに振り回され、右往左往している間に、ある時、はたと「迷子」になっていることもしばしばありました。
どういう時期に、どういった材と出合わせ、そこからどういった態度や見方を育んでゆくのかということについて、僕はあまりに知らないことが多すぎたように思います。
 
そこから数日の時間しか流れていない今もまだ僕は何も分からずにいるのかも知れません。でも、今はできる限りの「計画」と「見通し」を拵えることに専念する他ありませんね。そういう意味で、ここ最近はずっと未来のことばかりを考えています。
 
未来のことを考えるためには、過去の自分と今の自分が繋がっているという感覚が必要です。それは他の多くの動物たちと人間を分けている一つの大きな特徴の一つなのではないでしょうか。ということは、未来のことを考えることそれ自体が、とても「人間的な」ことと言えるのかも知れません。
 
それと同時に僕には「今ここ」にある感覚を持っています。それは他の多くの動物たちと等しく持っている特徴なのではないでしょうか。ということは、今ここにあるということそれ自体は、とても「動物的な」ことと言えるのかも知れません。
 
学校という場所は、社会という「人間的な」ところへ向かっていくための場所です。なので、そこで営まれる物事は「人間的」である必要があります。計画をしたり、見通しをもってみたり、それに向けて協力したり、協働したり。そういうことを考えながら、「年間指導計画」というものを拵えています。
一方でそこにやって来る子どもたちも、携わる大人の一人ひとりも、「今ここ」の感覚で生きています。調子がよい日もあれば、調子の悪い日もある。機嫌がいいときもあれば悪い時もある。いつも同じ調子で淡々と生きている人は一人もおらず、よかったりダメだったりしながら、その日暮らしをしています。そういう人たちが関わり合って歩む道程として、「年間指導計画」というものを拵えています。
 
大きな話をしています。でも、そういう大きな話をしながらでないと、小さな話ができないことってありますよね。年間指導計画に関する教育関連の資料の傍らに、文化人類学やら何やらの書物が並んでいるところが、2018年度も、相変わらずの僕らしいところだなと思います。

2017年12月4日
所沢シティマラソンに参加してきました。今年も5km、

所沢シティマラソンに参加してきました。今年も5km、昨年も5km、その前年も5km。主役は僕ではなく、僕が伴走する男の子です。
彼は自閉症で、言葉でコミュニケーションを取ることはできません。そんな彼との付き合いが、このマラソンのおかげで、年一回、細く長く続いています。出会った時の彼は中学生、僕は大学院生でした。それが今では二人とも社会人です。
 
とても印象的だったことは、彼の表情が始終すこぶる明るかったことです。「どうしてそんなに笑顔なの?」と尋ねてみることはできません。尋ねることはできても、その答えを彼から受け取ることはできません。できないから、ただ、笑顔の彼といるのです。笑顔の理由は分からないけれど、彼が笑っているという事実と一緒にいるのでした。
 
今となって振り返ってみると、そういう「あり方」が、昔は不安でした。僕の中に相手の真意を「分かりたい」という欲求があって、それが不安の原因でした。
でも、この日は少しも不安がありませんでした。彼が笑顔でいるという事実、それだけでいいやと。
 
僕は、彼にとっての支援者でした。彼を支えることが僕の務めでした。
でも、その前に、彼は彼でした。彼は彼らしくある、彼でした。
僕の立場がどうあろうが、彼は生きている。生きている彼のすぐそばに、同じく生きている僕がいる。
 
生きているものは、みな、よく分からない。何を考えているのか、どうしてそう考えるのか、そこからどうやって行動するのか。
少なくとも僕と同じように考えて、同じように行動する人はほとんどいない。僕の見ている限り、○○さんと〇〇さんも全然違っている。
違ってばかりの僕たちが、「分かる」ことができることは、実はとっても少ない。「何でだよ」「どうしてさ」の連続です。
「分からないもの」を「分かろう」とする努力を諦める必要はないけれど、「分からないまま」でもやっていかれる「よい塩梅」が必ず見つけ出せると思う。
 
僕は半日、彼と過ごした後、そんなことを考えています。きみの笑顔の分からなさは、僕にとってものすごい宝物だなと思います。
どうかいつまでも僕の分からない君でいてください。また来年、きみと一緒に走れることを楽しみにしています。
 
明日もよい一日となりますように。

 

 

2017年12月2日
久しぶりの人と、予定のやり取りをしている中で、

久しぶりの人と、予定のやり取りをしている中で、お互いの健康を祈り合う言葉を交換しながら、今年もなかなか健やかな一年だったと思うのでした。
 
振り返ってみると、今年は自分の生活上の〈細々としたもの〉をいくつか断ちました。

例えば手持ちのスマートフォンからSNSのアプリをほとんど削除しました。アカウントはそのままなので、完全に「断った」というわけではありませんが、アプリが無いだけでこんなにも疎遠になるものかと驚いています。
反対に日々の生活の、それこそ細々とした時間に、一体どれだけアプリを起動していたのだろうと反省するばかりです。まさに「塵も積もれば」の膨大な時間を、スマートフォンの画面とにらめっこするために使っていたのでした。
その結果、どういう時間が増えたのかは最近まで今ひとつピンと来ていませんでしたが、こういう生活がもうすぐ半年という頃になって、「たしかに自炊をしたり、本を読んだりする時間が増えているな」ということをようやく実感しつつあります。
 
お酒の量も減らしました。
お酒の席も、お酒そのものも大好きですが、残念ながら、僕の身体はお酒をたくさん飲むことが苦手です。
慣れればいずれは平気になるだろう、という期待もありましたが、どうやらそういうわけでもなさそうです。
「減らしました」というほどの量を飲んでいたわけでも、そもそもそこまで「いける口」でもなかったのですが。
晩酌も、お酒の席も最初の一杯。そのほうが自分にとっていい塩梅のようです。
 
この他にも生活上の〈細々としたもの〉を断ってみたり、減らしてみたりした一年だったなと思います。
まさに「足るを知る」という具合です。生活の中に、自分らしい輪郭が生まれつつあるのを感じています。
そういうことを思った時、自然と「暮らし」という言葉が浮かんでくるのでした。
 
今日もよい一日をお過ごしください。

2017年10月10日
なんだかんだで君といる時間が、一番じっくりと自分のことを考えられているように思うよ。

僕以外の人にとって、この日記が更新される頻度はごくごく少ないものですね。
でも、僕にとってはこの日記を更新しようとした頻度というのは、とてつもなく多いのです。少なくとも二日に一回はホームページのダッシュボードを開き、「日記を書く ここにタイトルを入力」の画面とにらめっこしています。ご丁寧なことにパーマリンクの日付を、当日あるいはその翌日に設定までして。
 
書いては消し、書きかけては保存し。そうやっていくつもの行ったり来たりをする場所。
砂浜の足跡、水たまりを滑る雨傘の先、裏紙に書いたメモ。
心に浮かんできた3つのものを並べてみましたが、「裏紙に書いたメモ」は似ているようで全然違うものですね。
形になって残るものに対しては、「残したい」という気持ちがどうしても湧いてきます。自然のように、自分の力が遠く及ばないものであれば諦めるほかありません。

残ることはないと知っているところに、敢えてそこに「痕」を残そうとする。残ることを知っているところに、「痕」を残そうとする。
後者は、そこに「他の誰か」を必要としていることに気付きます。たとえそれが一人きりの作業でも。
 
「日記を書く ここにタイトルを入力」
日々、頭に浮かんでは消えてゆく「よしなしごと」にタイトルを付ける作業。
「日々の記録」と言う人もあるけれど、「記録」という言葉の意味を辞書で紐解いてみると「後々まで伝える必要のある事実を書き記すこと」と書かれています。少なくとも僕がここに残しているものは「後々まで伝える必要」は特に無く、「事実」であるとは限らないことばかりです。なんだ、「記録」と言うのはなかなか大層なものなんだなあ。
 
書き記されたものだけで見れば取るに足らないことであっても、書き記そうとした動機やその試みは、その当人にとってはものすごく重要なことである。
そんなことに気付けただけでも、このブログをやっていてよかったと言えるのでしょうね。
なんだかんだで君といる時間が、一番じっくりと自分のことを考えられているように思うよ。
 
ふう。言葉にできないことが多いせいで、寂しい想いをさせ続けている君のために。なんとか書き上げることができてよかったよかった。
 
明日もよい一日となりますように。

2017年10月3日
「誰かが、」「通過させたかった」ものを継ぐ

座・高円寺の「あしたの劇場」へ行くことが、毎夏の大きな楽しみの一つになっている。
今夏は「フランドン農学校の豚」と「ピノッキオ」、どちらの作品も観ることができ、とても満足している。
満足というのは気持ちのありようで、心全体のありようで言うならば、とても充実している。
 
特に「ピノッキオ」で脚本・演出を担当するテレーサ・ルドヴィコ氏。僕はすっかり彼女の作品世界に夢中になっている。
昨夏の、と書こうとして驚いた。「旅とあいつとお姫さま」は一昨年の上演だ。あの作品のことは、今でもついこの間のように思い出すことができる。
そういう作品と出会えたことが、本当に幸せだ。
 
佐藤雅彦氏が編者を務めた『教科書に載った小説』のあとがきの言葉が好きだ。
「誰かが、人が育つ過程に於いて通過させたかった小説」
佐藤氏は自身の撰んだ12編の小説をこのように形容した。

「誰かが、」「通過させたかった」というところが、とてもいい。
作品を通じて、時代や世代を越えてやってくる人の願いや想い。
顔も知らない「誰かが」、未来へ向かわせたもの。
その想いの先に、今の僕たちがいて、これからの〈誰か〉がいる。

この言葉に出会って以来、例えば日々の授業で扱う物語や説明文の読み方が変わった。
一見するとピンと来ない作品であっても、「きっと『誰かが通過させたかった作品』であるに違いないから、それがなんとなくでも感じられるまでは読み込もう」と思うようになった。
提供する側の人間がその作品を「取るに足りないもの」と思っていては、どうして子どもたちが学ぼうと思うだろうか。
 
そしてそれは自分の携わる舞台についても同じことを考えるようになった。
「僕たちの舞台に『通過させたかった』と思えるようなものはあるのかな」
 
今日はここまで。また明日にしましょう。
 
【お知らせ】
先生と本屋 VOL.09 きのこ公演
次回の舞台公演は10月15日(日)19:00〜20:30(東中野バニラスタジオ)です。
古典落語の名作「死神」を扱います。ご予約受付中です。
「先生と本屋」を予約する
 
【紹介した本】
佐藤雅彦(編)『教科書に載った小説』(ポプラ文庫、2012年)

2017年8月9日
〈恩送り〉の灯火を宿して

アメリカに滞在中の先輩から「バーバラが引退する」という報せが届きました。
バーバラはサンフランシスコにあるインプロカンパニーBATS(ベイエリア・シアター・スポーツ)の創立当時からのメンバーの一人。
そして僕の大切な恩人の一人です。
 
サンフランシスコの滞在を終えて、いよいよ日本に帰ろうという日。
空港まで車で送ってくれたのは、バーバラ・スコットでした。
バーバラは、彼女が実践しているインプロのクラスを、滞在中に何度も見学させてくれました。
映画を見に行ったり、食事に連れ出してくれたり、サンフランシスコのいろいろな場所へ案内してくれました。

英語が決して達者と言えない僕にとって、二人きりの車内でバーバラと交わす会話が、一番安心して話せる時間でした。
年齢で言えば、僕の母親と祖母のちょうど間ぐらい。僕はすっかり孫になったような感覚で、バーバラとの時間を過ごしました。
改めて思うまでもなく、本当にはた迷惑な〈孫〉でした。

バーバラがしてくれた分以上の何かを、この滞在中に得られたのだろうか。
自分は何らかのきっかけを手に入れたのだろうか。
あれ、そもそも何をしに来たんだったっけ?
気分はすっかり卒業制作中の竹本くんです。
空港までの車内で、そんな思いがぐるぐると駆け巡ってきて、どうしようもなく涙を流してしまいました。
 
感謝の言葉を探そうとしたけれど、どうしても見つからない。
そんなことをようやく口にしました。
すると、バーバラはハンドルから右手をそっと放して、僕の手をとって言いました。
“Pay it forward.”
感謝の気持ちは私に返すためのものではなく、これからあなたが出会う人たちのために惜しみなく施してあげてほしい。
彼女のシンプルで美しい英語をそのまま思い出すことはできないのが悔やまれますが、彼女は優しく、こう語りかけてくれました。
生まれたての赤ん坊のような気持ちになって泣いたことが、つい昨日のようです。
 
バーバラから贈られた”Pay it forward.”という言葉は、僕が短い人生の中で受け取った、最も美しい言葉です。
日本語に直すとすれば〈恩送り〉。
僕はまだまだ人に施せるだけの心身の余裕を十分に持つことのできない未熟者です。
でも、自分にできることから、できる範囲で「恩送り」をするぞという気持ちは、あの日以来、一日足りとも忘れたことがありません。
 
「バーバラが引退する」という報せを受けて、また〈あの日の車内〉の記憶がすっと蘇ってきます。
彼女から受け取った〈恩送り〉のバトンを、しっかりと渡せているだろうか。
僕はこの話を、これから何度も書くだろうし、その度に自分を振り返るだろうと思います。
 
偉大なるバーバラ・スコットへ。
あなたが手渡した”Pay it foward”の灯火は、少なくとも、今、この小さな島国の小さな人間の胸に宿っています。
きっと同じ気持ちでいる人が、世界中にたくさんいるのだろうと思います。
俳優としての、人間としてのバーバラ・スコットを心から尊敬しています。
 

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